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2008年 09月 21日
皆様
八丈島にはタナ婆の伝説というのがあります。 昔大津波で八丈島民がことごとく溺死した。タナ婆という一人の婦人が船の櫓にすがりついて大賀郷の海岸に漂着して助かった。タナ婆は身ごもっていて、やがて男子を産んだ。生き残った人は他にいなかったので母子が交わって子孫を作り、それが八丈島の島民になった、というものです。 写真は末吉地区にあるタナ婆のお墓です。ただしこれは明治時代にある篤志家が建立したようです。 津波や洪水あるいはその象徴でもある大蛇やオオウナギに人々が襲われて、唯一助かった妊娠した女性が男子を産んで、母子が交合して新しい人類を作った、というモチーフは東南アジアやオセアニアに頻出するオーストロネシア系神話に多く見いだせます。 この種の神話、日本では沖縄をのぞいて八丈島ぐらいにしか発見できません。八丈は本土に近いは近いですが、黒潮の南に位置します。小田静夫先生などの石器の研究を見ても、八丈、小笠原や沖縄の一部などはオーストロネシア世界であった時期があるのではと思いたくなります。 さて日本各地に船霊信仰があるのはご存じの方も多いと思います。船を新造するときに柱の中に船霊様として髪の毛、さいころ、人形などを入れて船の守り神にする。船霊は女性とされます。だから船に女が乗ると船霊様が嫉妬してよくないのだと。 ところが八丈島には実在の人物を船霊として崇める風習があります。船を新造する者は自分の近親者の中の、初潮前の少女を捜し求め、親の承諾のもとに船霊様ササギになってもらう。その家は鏡、櫛、鋏、針など女性に関係する道具を12種類用意する。それを船大工が新造船に納めるのです。船の建造が始まるとササギは親兄弟とは違った竈で調理した食物しか口にしてはいけない。ササギは髪の毛を海水で洗って清める。 進水式には晴れ着を着たササギが乗り、その晴れ着を作った布で作った船霊人形が納められる。また不漁が続くと船の持ち主はササギの家を訪れ、御神酒をもらってげん直しをする。少女がササギでいる間はこのように生き神様のように大事に扱われる。 私はカヌーを造ったという古老船大工Sさんと話をしていたとき、船霊様のことに話題が及びました。カヌーにも船霊を入れるのですかと。すると隣で聞いていた上品な奥さんが「実は、私、船霊様だったんですよ・・・・・」「ええっ! 本で読んだことはありますが、おばあちゃんがそのご本人なんですか!」「不漁の時私の所にくればまた魚が捕れるようになるって言って、たくさんきましたよ。私は気が強いからね、たぶん。でもね船の進水式の時私を乗せたまま、みんな船を担いで水につけるでしょう。私怖くて泣いちゃったんですよ・・・・」 ササギのことは小学館の『海と列島文化 第7巻:黒潮の道』の中の村武精一先生の論文を参照にしています。が、その本に載っている当時(70年くらい前?)のササギ役のけなげな少女の写真、この美人のおばあちゃんにそっくりなような気がします。同じ人じゃないかな? 今度写真を持って確かめてきたいです(sharkcaller)。
by hokupal
| 2008-09-21 13:41
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